三条市 産婦人科 茅原クリニック 「安らかな良いお産と女性のためのプライマリーケア…皆様のご要望に応じられるように今後とも創意工夫・努力精進を、重ねてまいります。」
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茅原クリニック院長 茅原保 氏名:茅原 保(ちはら たもつ)

昭和29年(西暦1954年)9月17日 新潟市に生まれる

ちなみに、出産は自宅分娩で(当時としては普通のやり方です)、予定日より1ケ月以上遅れて陣痛が始まり(エコーも何もないから予定日の設定自体が間違っていたのでしょう)、お産の進みが早くて助産婦さんが間に合いませんでした。その助産婦さんに小学校のころ会ったことがありますが、ものすごくお歳をとったおばあさんでびっくりしました。その時、ろくに御礼も言わなかったことを今になって後悔しています。幼少時は、頭が重くて足取りがおぼつかず転んでばかりいました。頭に2ケ所頭蓋骨がくぼむほどのけがの跡がいまでもあります。


◆経歴  
   
幼少の頃の
写真
幼少の頃の写真 幼少の頃の写真 幼少の頃の写真
昭和34年 新潟市立沼垂保育園入園
節分の豆まきで落花生を1個しか拾えずにべそをかくようなどんくさい子でした。
昭和36年 新潟市立木戸小学校入学
給食の揚げパンがおいしかった。いつもボッーっとしていました。
昭和37年 新潟市立沼垂小学校転校(校区変更のため)
毎日外で遊んでいて通信簿は「3」か「4」ばかり。
5年生の2学期に初めて算数で「5」をもらったのが思い出。うれしくてとってもどきどきしました。図画工作がとても苦手でしたが、体育は得意でした。足が速くて(足の回転数が多い?)リレーの選手でした。
昭和43年 同校卒業
昭和43年 新潟市立東新潟中学校入学
陸上部に入部しましたが、自分は一流になれる器ではないとすぐに悟り1年生の6月には吹奏楽部に転部しました。ユーホニウム(チューバを小さくしたような楽器)担当。
3年の時部長を務め新潟県吹奏楽コンクールで準優勝!! このころクラシック音楽の世界に目覚めました。
昭和45年 同校卒業
昭和45年 新潟県立新潟高校入学
ボート部所属で県大会準優勝!!腕が太くて足が短いのは、このときのボート部のため!?
よく授業をさぼって高校の裏の青山海岸で遊んでいました。共学でしたが、理系クラスのためクラスに女子がひとりもいなくて女子と口をきいたのは3年間で3回くらいでした。
ベートヴェンとビートルズに熱中していました。
昭和48年 同校卒業
昭和48年 自治医科大学医学部入学
合唱部、将棋部、座禅研究会、ボート部、等々あちこち顔を出して、結局、合唱部を中心に活動しました。
白亜混声合唱団初代幹事長を務め、そこで妻と知り合いました。講義に出ずに、音楽図書館に通い詰めました。
昭和54年 同校卒業
昭和54年 新潟大学医学部産科婦人科学教室入局
以後、新潟大学附属病院、県立新発田病院県立がんセンター新潟病院、にて卒後臨床研修に励む一方で、自治医大設立の精神であるところの「僻地医療の向上」のために、県立津川病院県立六日町病院県立小出病院にて勤務。
昭和63年 博士(医学)(新潟大学産科婦人科、竹内正七教授)
学位論文「早期自然流産の集学的臨床研究」
新大病院では、妊婦初診時エコー創設、超音波外来、不妊外来、特殊産科外来、等を担当。
平成元年 済生会三条病院 産婦人科医長として三条市に着任
平成9年 9月17日  茅原クリニック開院
◆院長あれこれ
◆資 格 日本産科婦人科学会専門医・東洋医学会専門医・母体保護法指定医・ 博士(医学)・珠算二級・将棋二段
◆学 会 日本産科婦人科学会・日本生殖医学会女性心身医学会日本母性衛生学会・日本産婦人科医会・ソフロロジー法研究会ラマーズ法研究会・東京オペグループ・他
◆趣 味 音楽(合唱、クラシック音楽鑑賞、J-ポップスも好き)、囲碁、将棋、格闘技評論、長島茂雄さんの大ファン、アルビレックス新潟の後援会員、食べること(嫌いな食べ物はひとつもなし)、晩酌、ゴルフ(公式ハンディ29)、スキー(滑ることより山の眺めが素晴らしい)、昼寝、テレビを見る
◆特 技 足し算の暗算、一度に二人の言うことを聞き分けること
◆理 想 茅原クリニックを超一流のクリニックに育てること
◆ 夢 保育園の創設と運営、海外旅行(ハワイ・欧州・豪州・等)
◆信 条 「最善を尽くす」「死んであの世にもって帰れるものは心だけですから、正しい心・美しい心で帰れるように努力する」「何事にもプラス思考で前向きに考えて創意工夫と発展向上を目指す」


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